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2011年11月 1日 (火)

百名山の意義

先日、南アルプスにいってきた時に、芦安の「南アルプス山岳館」というところにいってきました。
その時に、ほど近い「茅ヶ岳」で宿題を残し、帰らぬ人となった、深田久弥氏の没後40年展として「南アルプスの日本百名山」という特別展が開いていました。
前から、この山岳館に興味があったので、一度は行っておこうと思っていたのですが、そこで、偶然にもこの日本百名山を生み出した、深田久弥氏がどのようにしてこの百名山を選定したか・・?何を根拠にしていたか?ということを勉強することができました。

先日のブログにてコメントいただいた内容を見ていて、ふとこのような記事を書いてみたくなりました。

Img_0422 特別展の看板

今や、中高年の憧れの百名山ではありますが、今の世の中で、現実に求められているものとはかき離れた世界で、深田氏はこの百名山を選定したことを知ることができました。
特別展の挨拶文の行末に下記のようなことが書かれていました。

「深田は、簡潔で秀逸な文章で山々を擬人化して表現した「日本百名山」を著して、山岳文学の分野を確立し「独創性を持った個性的な山登り」を強く推奨し、実践しました。しかし、1971年3月21日「宿題の山・茅ヶ岳」を登山中、山頂を目前にして倒れ、帰らぬ人となりました。黄泉の国から南アルプスを初め、甲州の山々を見つめながら、その後、登山界で起きている「百名山ブーム」をどんな気持ちで見つめていることでしょう。」

また、深田氏の百名山を選ぶ基準として次のようなことを置いたと記されていいます。

(1)誰が見ても立派な山だと感嘆し、厳しさか強さや美しさか、何か人を打ってくるものが無ければならない。人間にも人品の高下があるように、山にもそれがある。人格ならぬ山格のある山でなけ   ればならない。
(2)歴史のある山。昔から人間と深いかかわりを持った山。人々が朝夕仰いで敬い、その頂きに祠をまつるような山は名山だが、観光地となり通俗化した山は選定外
(3)芸術作品と同様に強烈な個性のある山であること。付加条件として、おおよそ、1500m以上とした。山高きをもって尊しとせずだが、ある程度の高さがなくてはならない。

Img_8513 深田氏終焉の山「茅ヶ岳」八ヶ岳より

この文を読んで、皆様はいかが感じられたでしょうか?なぜ、百名山を目指すのですか?
現在の百名山ブームの中で、深田氏が感じて欲しいことを本当に感じ、感謝の気持ちで一つずつの山を登らしていただけるならば、それはきっと皆様の心に深く深く残ると思います。ただ、数を求めるのでは無く、百名山に登る意義をしっかりと理解して登るとすると、その登山はとっても有意義なものになります。現在では、それでも飽きたらず、200名山や300名山、各地のまたは各県の百名山なども出ている始末です。

Img_0421 南アルプス山岳館

ガイドである私がいうのも何なのですが、商品化されたような登山にはいまいち魅力を感じません。
山に登るということは、それぞれがそれぞれに深田氏が感じたような品格と気概を持って望むものだと感じます。コメントにもあったように、やまやの皆様は少なくとも「コレクター」にはならないでいただきたい。「百名山」を目指すなら、その1つずつに意義を感じ、強い思いで登って欲しい・・それでこそ、百名山、ならずも山に登る価値があるのだと・・私はそう思っています。

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